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日本橋トップインタビュー

HOME > 日本橋トップインタビュー >相田みつを美術館館長 相田一人
2014年 日本橋美人新聞冬春号掲載
美人は日本橋で創られる

相田みつを美術館館長 相田一人

 
インタビューアー:山田 晃子
EDO ART EXPO 総合プロデューサー
日本橋美人推進協議会プロデューサー
(特非)東京中央ネット副理事長
(一社)日本江戸クラフト協会副会長
(株)ヤマダクリエイティブ代表取締役 ほか

 


相田一人
(あいだ かずひと)
相田みつを美術館館長。
昭和30(1955)年栃木県足利市生まれ。
相田みつをの長男。
出版社勤務を経て、平成8(1996)年、東京銀座に相田みつを美術館を開館。
「じぶんの花を」「本気」「ある日自分へ」 (文化出版局)、「いまから ここから」(ダイヤモンド社)などの編集、監修に携わる。
著書に「父 相田みつを」(角川文庫)「書 相田みつを」「相田みつを 肩書きのない人生」(文化出版局)がある。
平成15(2003)年11月、東京国際フォーラムに新美術館をオープン。
現在、美術館業務の傍ら、全国各地で講演活動や執筆活動を行っている。

山田 今回の巻頭インタビューでは、相田みつを美術館の相田一人館長に、お話を伺います。まず、ご経歴についてお聞かせください。
相田 私は父・相田みつをの長男として栃木県足利市で生まれ育ち、高校までは父と一緒で、大学以降はずっと東京です。若い頃は編集の仕事に携わっていました。父が67歳で他界したのちは作品の編纂や遺作展を行い、平成8(1996)年に相田みつを美術館を銀座に設立して、今日まで館長を務めております。生涯故郷の足利で創作活動をしていた父は、書家や日本画家の動向を探るべく銀座の画廊に足繁く通っていましたので、銀座に縁がありました。平成15(2003)年には東京国際フォーラムへの移転に伴い美術館のスペースを拡大し、更に多くのお客様をお迎えすることが可能になりました。館内は父が毎日のように散策した八幡山古墳群をイメージして設え、じっくりと作品を味わえる美術館となっています。館のコンセプトに「人生の2時間を過ごす場所」を掲げ、作品鑑賞に1時間を費やした後は、併設のカフェなどで余韻に浸りながら残りの1時間を過ごしていただけるように、寛ぎの空間作りを心掛けました。
山田 平成26(2014)年は相田みつを氏の生誕90年、代表作『にんげんだもの』刊行30周年という節目の年であり、館長ご自身も相田みつを作品のルーツを辿る手懸りとなるような良書をご出版されましたね。
相田 この記念の年に因み、父が生前交流のあった方々とのコラボレーションによる特別展などを開催してきました。美術館としては、平成28(2016)年に開館20周年を迎えますので、ひとつの節目になるような新たな企画を考えたいですね。また、『にんげんだもの』はお蔭様で出版から30年たった今日でも読み継がれるロングセラーとなりました。新刊『相田みつを 肩書きのない人生』は、美術館に寄せられるさまざまなご質問にお応えしたいと執筆したものです。父の「個性的な文字」「作品の原点」「命の詩人と呼ばれる所以」などを紐解き、肩書きを持たない生き方、作品への思いと書の造形や詩という言葉に立脚した、独自の世界観を紹介したかったんですね。
山田 平成26年(2014)年9月26日〜10月14日に開催した「第7回 EDO ART EXPO」では、中央区、千代田区、港区、墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設など60カ所以上が会場となり「江戸の美意識」をメインテーマに、江戸から続く伝統や文化、歴史などに関わる展示を行い、国内外から約40万人もの方が各会場を訪れてくださいました。相田みつを美術館では平成23(2011)年から博覧会の一環で催す「東京都の児童・生徒による 江戸 書道展」の会場としてご協力いただいています。

 

相田 今の子どもたちは、常にデジタルでバーチャルな世界に晒され生活しています。一方で墨を磨り毛筆を用いて紙に書く書道は、アナログでリアルな行為です。子どもたちが心を鎮め、自らと対峙できる時間を持つのは大切な事です。父は書家・詩人と言われていますが、音楽の世界に置き換えればシンガーソングライターのように、言葉を紡ぎ自ら筆をとりました。この書道展のお手本が無く「江戸」から連想する言葉を自分で見つけ、それを書くという主体的でクリエイティブな企画に共感し、お手伝いをしています。
山田 相田館長にとって、思い入れのある日本橋のスポットはございますか。
相田 実は父の作品が広く世に知られるようになったのは、日本橋島屋とのご縁がきっかけでした。父が無名だった40代前半に持ち込んだ色紙を目に留め、美術部で扱って下さるようになりました。『にんげんだもの』の出版プロデューサーの松本瑠樹氏は「最初に相田みつをを知ったのは、日本橋島屋で売っていた色紙だった」と仰っていますし、ミリオンセラーの『一生感動一生青春』は、島屋の会報誌の書とエッセイの連載を編集した内容ですので、実に深い繋がりを感じます。今も当時と変わらぬ建物の前を通ると、足利から電車を乗り継いで、父の名代として色紙を納品したことが懐かしく思い出されます。日本橋はハイカラなムードが漂っていて「これが東京か」と、子ども心に憧れを抱いたものでした(笑)。また三井記念美術館の荘厳で静謐な雰囲気が好きで、開館した当初より度々訪れていますし、日本橋の街並には日本の伝統や文化を引き継ぐ老舗が残っていて、人間の温もりが感じられます。
山田 相田館長にとっての「日本橋美人」とはどのような女性でしょうか。
相田 着物を美しく着こなしている女性は素敵です。それには、内面から醸し出す美しさがあってこそ輝いて見えるのでしょう。豊かな素養や教養を兼ね備えた女性こそが、日本橋美人なのだと思っています。

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相田みつを作品に魅せられて〜好きな言葉〜

相田多くの作品の中でも父の全てが集約している気がする
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる 」でしょうか。

山田麗老 」という言葉に出会った時に、優しい響きの中に
凛とした美しさを感じました。


着こなしのポイント
新年にふさわしい上品な色調の訪問着は、梅をはじめとした四季の花々が優しく咲き誇っています。格調の高い袋帯と愛らしいピンクの小物で演出したコーディネートで、新春に華やぎを添えます。


撮影協力 ロイヤルパークホテル
撮 影  小澤正朗
衣 裳・ヘアメイク・着付け 衣裳らくや
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