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日本橋美人めぐり

HOME > 日本橋美人めぐり > 「ウォーキング」編
日本橋美人新聞No.17秋冬号(2009年)掲載

日本橋で出会う魅力的な橋「ウォーキング」編


日本橋美人めぐりは「日本橋美人プロジェクト」が推奨する日本橋の散策コースです。
日本橋には、名橋日本橋以外にも風情のある橋が多くあります。水路により発展した日本橋に「橋」は欠かせない要素。日本橋美人の基礎教養としてウォーキングを兼ねて訪れてみてはいかがでしょうか。

柳橋

 元禄11(一六九八)年に架設された当時は、周辺に隅田川の船遊び客の船宿が並び賑い、明治維新以降は花柳界としても隆盛を誇りました。正岡子規が句に詠み小林清親が画題にするなど、文人墨客にも好まれた橋。現在の橋は、花街に因み欄干に「かんざし」が飾られ、歩道には御影石が貼られています。夕暮れからライトアップされた優美な姿が、日本橋美人を魅了してくれるでしょう。

柳橋
中央区東日本橋

両国橋

 創架は、万治2(一六五九)年と寛文元(一六六一)年の2説があり、幕府が千住大橋に続き隅田川に架けた二番目の橋です。武蔵国と対岸の下総国の両国を結んでいたことに、橋名の由来があります。江戸後期には橋の西側に両国広小路が設けられ、芝居小屋や茶店ができ、江戸随一の盛り場に。両国花火大会(隅田川花火大会の前身)が始まったのもこの時期と言いますから、日本橋美人としては当時に想いを馳せるのも一興ですね。

両国橋
中央区東日本橋

清洲橋

 平成19(二〇〇七)年に永代橋、勝鬨橋と共に国の重要文化財に指定された清洲橋は、震災復興事業により昭和3(一九二八)年に完成した新設橋です。当時、世界の美橋と称されたドイツのライン川に架かる「ビンデンブルグ橋」がモデル。下流の力強いイメージの永代橋と対をなす橋として計画された、優美でやわらかいシルエットが魅力的なデザインと言われています。日本橋美人としても必見です。

清洲橋
中央区日本橋中洲

常磐橋

 架橋時期は不明ですが、江戸城内郭と市街を結ぶ城郭門「常磐橋御門」の見附橋として架けられました。現在の橋は、明治10(一八七七)年に常磐橋御門の石で改架した都内随一の貴重な洋式石橋です。橋のたもとの御門跡には、枡形門の石垣が残っています。日本橋川の上流に大正9(一九二〇)年「新常盤橋」、下流には昭和元(一九二六)年「常盤橋」が架設され、三つの「ときわばし」が並びました。日本橋美人の知識として、憶えておきたいですね。

常磐橋
中央区日本橋本石町

湊橋

 延宝7(一六七九)年に架けられた湊橋は、霊岸島(現:中央区新川)と対岸の日本橋箱崎町を結び、江戸湊の出入り口に位置したことから名付けられました。江戸と関西の水路交通の要所として「江戸名所図絵」にもその繁栄ぶりが描かれています。現在の橋は、震災復興事業で昭和3(一九二八)年に架けられた3連アーチ橋。平成元(一八八九)年に装いを新たにした、カラータイルが美しい橋を遠方より眺めるのも日本橋美人らしい風情です。

湊橋
中央区日本橋箱崎町

豊海橋

 現在の橋は昭和2(一九二七)年に竣工ですが、江戸中期には豊海橋(別名「乙女橋」)があったと伝えられます。 日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁で、梯子を横倒しにしたような重量感に溢れるデザイン。これは考案者の名に因み「フィーレンデール橋」と呼ばれる様式で、国内では数カ所あるのみの貴重な橋です。美しい隅田川を望み江戸の情景を想い浮かべれば、豊かな日本橋美人に。

豊海橋
中央区日本橋箱崎町
 休日はゆっくりと景色を楽しみながら散歩します。
歩くコースや、時間はとくに決めず、その日の体調や気分でぶらっと出掛けます。
上に高速道路が通っているのは残念ですが、川幅の広い隅田川を臨めば、壮快な気分になります。太古の昔、人間は海の生物だったから、水を見ると気分が落ち着くという話を聞いたことがありますが、ここに立っていると納得できます。

「日本橋美人」より抜粋
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