昭和6年、東京・麹町で生まれる。家業は祖母の代から続く銀座のたばこ専門店「菊水」。
住まいを藤沢に移すが、店の手伝いで子供の頃から銀座に足繁く通う。中、高校生の頃は進駐軍の将校等と鵠沼海岸でサーフィンに興じた。いわば、日本のサーファーの草分けである。横浜国立大学卒業後、鎌倉市の小学校で視聴覚教育に携わったのち、教壇を離れ、昭和33年菊水に入社。昭和43年、父(長一氏)の後を継いで社長に就任。以後、銀座通連合会の理事などを経て、現在は銀座六丁目町会長(7年目)をつとめる。

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日本随一の繁華街、中央区・銀座の歴史は、江戸時代この地に「銀座」銀貨鋳造所が置かれたことから始まりました。明治時代になり、新橋横浜間の鉄道が開通すると、新橋の停車場から居留地のあった築地、商業地日本橋を繋ぐ要所として、商業の新天地、さらには外国に対する日本の街並みのモデルケースとして異国風の様相を整えつつ発展しました。町のほとんどが灰塵に帰した江戸末期の大火、大正期の関東大震災、昭和の戦禍にもめげず、不死鳥のごとく復興。それぞれの時代で「銀座ならでは・・・」の特色を持ち続け、今なお多くの人々に愛され親しまれています。創業100年の老舗を守りつつ「銀座はわが町」を自認する内藤さんに、街の移り変わりと思い出、町会や通り会の成り立ち、街の将来像など、また、江戸開府400年に寄せる想いを語っていただきました。

 「菊水」を創業したのは、私の祖母である内藤志んです。横浜の伊勢崎町にあった鶴屋呉服店の古屋徳兵衛の長女で、たばこが専売制になる1年ほど前の明治36年に、煉瓦街の一角にあった店舗を居抜きで買い取り、内外のたばこ小売店として開業しました。それ以前は佐賀たばこの元売り店だったようです。祖父彦一は、明治22年に鶴屋と松屋とが合併してできた松屋呉服店(現在の松屋百貨店の前身)で働いていました。
 大正12年にコンクリートの3階建てに建て替えられた店は、わずか2カ月後の関東大震災に遭い、躯体だけを残してすっかり焼けてしまいました。内装をやり直して使用していましたが、空襲で再び焼けてしまいました。再度修復し、現在の建物になる20年ぐらい前まで使っていました。昭和46年ごろの写真がありますが、大正から昭和にかけての非常にモダンな建物でした。

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                                                          2003年8月掲載記事
                                                ※内容は、掲載当時のものとなります
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