銀座界隈


銀貨の鋳造所 通称“銀座”

銀座2丁目の中央通り沿いに「銀座発祥の地」の碑があります。

江戸時代ここには銀貨の鋳造所があった事に由来します。当時「銀座」は地名ではなく、江戸幕府の役所の名称でした。日本橋の現在日本銀行が建っているところにあった金貨の鋳造所である「金座」が、両替町といったため、「銀座」のあったここはそれに合わせて新両替町という名称でした。しかしその頃から通称として「銀座」と呼ばれており、1869年(明治2年)に正式な地名となりました。このころの銀座は現在のように1丁目から8丁目までなく、4丁目までで、広さも今の1割程度でした。

明治時代の銀座通り(中央通り)は煉瓦造り二階建てのアーケード式建築が並んでいました。このハイカラな街並みは、1871年(明治5年)の銀座大火で町が全焼したことによる再建計画で出来上がりました。火事に強い建築素材である煉瓦を使用し、近くにあった築地外国人居留地の影響もあり、西洋風のまちづくりが成されたのです。しかしこの美しい街並みは1953年(大正12年)の関東大震災で崩壊しました。
銀座発祥の地の碑
銀座発祥の地の碑

明治時代の銀座
明治時代の銀座
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銀座煉瓦街の面影 銀座のシンボル 和光の鐘の音
古き街並みを残す建物 銀座通りの新しい顔


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