築地・明石町界隈


築きたてた地 築地(築地中央卸売市場 ほか)

築地と言えば魚河岸としてその名を知られていますが、もともと江戸の魚河岸は日本橋の北側にありました。それが築地に移ってきたのは関東大震災後の事です。それ以前はどんなところだったのかを調べてみると、築地という地名の成り立ちが解ります。現在の築地・明石町界隈は、1657年の明暦の大火によって生じた瓦礫などを使って「築き固めた土地」である事から「築地」と呼ばれていました。そこは伊勢長島藩増山氏上屋敷、備前岡山藩松平氏中屋敷、尾張名古屋藩中屋敷跡などが立ち並ぶ武家地でした。

現在の明石町には忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の屋敷もありました。明治元年に明石町が築地居留地として開放され、明治5年には現在の築地が正式に町名になりました。
築地中央卸売市場
築地中央卸売市場

明石町 聖路加国際病院付近
明石町 聖路加国際病院付近

浅野匠守邸跡
浅野内匠頭邸跡
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日本の中の異国 外国人居留地(築地居留地跡,東京運上所跡) 日本初の本格的洋風ホテル(築地ホテル館)>
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