京橋界隈

京橋の旧跡

1664年(寛文4年)に京橋川の水運を利用して、京橋の北詰西側に野菜の売り場が設けられました。この青物市場には大根の入荷が多かったため、「京橋大根河岸市場」と呼ばれ、明治になってからは「京橋青物食物河岸」と呼ばれました。明治の終わりには現在の京橋3丁目と八重洲2丁目の南部、対岸の銀座1丁目の西部にまで規模が広がり、青物・菓物のほか、魚類・乾物も扱うようになりました。大正時代には関東大震災の被害を受けましたが、卸問屋・仲買による組合の努力により、問屋68軒、仲買105名に達しました。しかし、1935年(昭和10年)に築地の東京卸売市場と合併、移転しました。「京橋大根河岸青物市場跡」の碑は1959年(昭和34年)に関係者により建てられました。

「京橋大根河岸青物市場跡」のとなりに「史跡江戸歌舞伎発祥之地」の碑があります。これは日本橋と京橋の中間に架かっていた中橋の江戸歌舞伎の創業を記念したものです。江戸歌舞伎は1624年(寛永元年)中村座の猿若勘三郎が中橋で櫓をあげたことに始まります。その後市村座、森田座も上演を公認され、江戸歌舞伎三座が集結し、中橋には多くの人々が集まりました。
「京橋大根河岸青物市場跡」碑
「京橋大根河岸青物市場跡」碑

史跡江戸歌舞伎発祥之地
史跡江戸歌舞伎発祥之地
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