日本橋室町界隈

「江戸名所図会」に見る 江戸一番の繁華街

日本橋東側にある石碑と観音像は江戸の初期から関東大震災まであった魚河岸跡をしるしたものです。ここから按針町(現在の室町1丁目)の間には鮮魚の店が連なり、海陸のけじめなく遠近から鮮魚が運送され、一日中市が賑わっていました。しかし、日本橋が東京の中心地として栄えると、魚類の鉄道輸送の関係と河岸の狭さから、移転問題が起こり、大正12年の関東大震災で魚河岸が焼失したのを機に築地へと移転しました。

江戸名所図会で見られる日本橋の賑わいの様子に「十軒店の雛市」があります。十軒店(じゅっけんだな)とは旧本石町と本町二丁目(今の室町三丁目)にはさまれた小さな町で、桃の節句、端午の節句に人形を売る店が十件並んでいたことからその名がつけられていました。現在はわずかに一軒の人形店が残るのみとなりました。
日本橋魚河岸跡
日本橋魚河岸跡

日本橋魚市「江戸名所図会」
日本橋魚市「江戸名所図会」

十軒店雛市「江戸名所図会」
十軒店跡

十軒店跡
十軒店雛市「江戸名所図会」
NEXT CONTENTS
地名の由来 日本橋とオランダ
松尾芭蕉と日本橋 日本橋一歩会


back