中央区の通りを歩く 第20回隅田川テラス(後編)


(左)勝鬨橋上から隅田川テラスを眺める
(右)東京湾河口に向けて隅田川を走る水上バス


後編で出会った草花たち

隅田川テラス・後編は、中央大橋周辺からスタート。中央区湊、明石町、築地のテラス沿いを歩きます。散策の最後は、テラス最終地点の勝鬨橋を渡って月島を訪ねます。

テラスを散策していると、隅田川を遊覧する水上バスと度々すれ違います。これは東京水辺ラインの水上バス。運航コースには、隅田川を経由する両国・台場海浜公園間や、両国と葛西臨海公園間を行き来するコースなどがあります。波しぶきをあげて軽快に進む水上バスは、隅田川によく似合っていて、なんとも涼しげでした。



隅田川テラスから中央大橋を見上げる

8 中央大橋周辺

中央大橋の下をくぐると、亀島川とその水門によって中央区側の隅田川テラスはいったん途切れます。そこで、亀島川を渡るべく少し迂回。前編で紹介した南高橋を通って、湊一、二丁目周辺から再びテラスに戻り、歩き始めました(中央大橋周辺のまちなみについては第6回八重洲通り後編をご覧ください)。


湊一、二丁目周辺の隅田川テラス


亀島川水門。このすぐ奥に前編で紹介した南高橋があります

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おもしろ発見 その3【突如現れた、謎のステーション?!】


霊岸島水位観測所

目の前に突如現れた宇宙ステーションのような建物……。その正体は近くにあった説明版から、「霊岸島水位観測所」であることが判明しました! 同観測所は、日本の高低測量の基準点である「水準原点」の標高を生んだ建物です。 日本の土地の高さ(標高)は、東京湾平均海面を基準(標高0m)として測られています。霊岸島水位観測所では、設置された明治6年から約6年間にわたり、東京湾の平均海面を算出するために、潮位観測が行われました。明治24年には、その観測結果をもとに、日本水準原点の標高が東京湾平均海面上24.5000mに決定。後の関東大震災の影響で、昭和3年に24.4140mに改訂されましたが、現在もこの数値が水準原点として使用されています。 同観測所は、その後の東京湾埋め立てなどの影響により、水準原点を検証する理想的な位置ではなくなり、現在は神奈川県三浦半島にある油壺の観測所にその機能が移されているそうです。現在の霊岸島水位観測所は、平成6年に元々あった位置から約36m下流に移設されたもの。この新たな観測所では、荒川水系の工事や改修計画策定などのために、基礎データの観測が続けられています。


柱部分には水深計



この部分が観測室。斜方12面体という立方体になっています

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隅田川テラスから佃大橋を見上げる

8 佃大橋付近

徐々に河口が近づき、潮の香りが漂い始める佃大橋周辺。丸い小石と円柱型の石によって波と島をデザインしたような路面舗装が見られるのが、この周辺の特徴です。佃大橋を通り過ぎたあたりから、堤防の外壁と舗装がレンガ風に変わっていきます。それはなぜか?理由は次の「(9)明石町周辺」で紹介します。


波と島をデザインしたような舗装


レンガ風の堤防外壁と舗装

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写真中央の階段を上ると聖路加ガーデンへ

9 明石町周辺

明石町沿いの隅田川テラスは、後背地の聖路加国際病院などの再開発にあわせて、スーパー堤防が整備された場所です。テラスは特に大きい緩傾斜型になっており、斜面にはベンチとしても利用できる大きな階段が設けられ、ランチタイムには大勢の人で賑わいます。また、斜面の上、まち側には明石町河岸公園や複合施設の聖路加ガーデンがあり、テラスと直結しています。 明石町周辺の堤防外壁や舗装などは、明治期に明石町一帯にあった外国人居留地(詳しくはこちらへ)をイメージしてレンガ風に修景されました。明石町の上下流のテラスにおいても同様の修景が取り入れられており、佃大橋から勝鬨橋周辺の隅田川テラスはレンガ風の景観が連続しています。


明石町周辺の隅田川テラス


レンガ風の堤防には西洋風の窓や扉がデザインされています

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隅田川テラスから勝鬨橋を見上げる

10 勝鬨橋付近

今回歩いた隅田川テラスの中で、草花が最も色彩豊かで、最も多くの人たちが休息していた場所。ベンチに腰掛け一息つくと、少し冷たい海風が肌に気持ちよく、潮の香りが都心にいることを忘れさせ、花壇に咲く花が目と心を癒してくれました(勝鬨橋周辺のまちなみについては第2回晴海通り後編をご覧ください)。


勝鬨橋と色とりどりの花々


勝鬨橋周辺の隅田川テラスにはひまわりも

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清澄通り

11 月島橋、西仲橋周辺

清澄通りを東へ進み、月島川を越えて月島西仲通り商店街へ向かう途中に、たくさんの柳が植えられています。この柳は、昭和59年に銀座の有志の方々が「銀座の柳」の二世を復活させ、その二世の枝を育成した「銀座の柳三世」なんだそうです。


月島川


銀座の柳三世

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商店街には約70のもんじゃ屋があるそうです

12 月島西仲通り商店街

商店街に一歩足を踏み入れると、そこはまるで別世界。米屋、乾物屋、豆腐屋、魚屋、八百屋、酒屋、花屋、寿司屋、パン屋、下駄屋、呉服屋、文具屋、書店、電器屋などが肩を寄せ合うようにして建ち並び、ほとんどの店舗が昔ながらの佇まい…。まさに、昭和、レトロ、ノスタルジー! もちろん、月島の代名詞、もんじゃ屋さんは修学旅行生や観光客で大賑わいでした。


細い路地がさらに懐かしい世界へ引き込みます



月島西仲通り商店街の一角。
写真右の小さい建物は大正15年改築の警視庁最古の現役交番

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おもしろ発見 その4【あっ!ビルの中に観音様が!】

月島西仲通り商店街を歩いていると、真新しいビルの1階、もんじゃ屋さんとレストランの間に、「月島観音」と書かれた入口を発見! 「こんなところに観音様が?」と少々訝しがりながら奥へ進むと……、突き当たりには、なんと、月島開運観世音様が鎮座していました。 この観音様は約60年ほど前に、地元の篤志家によって寄進されたもので、観世音菩薩を善光寺大本願において入魂した上で、この場所に安置したそうです。参拝した人たちの開運と祈願成就はもちろん、特に遺失物の発見や病気の平癒に御利益があるとのこと。早速、初穂料を納め、開運小判の御守を購入しました!



月島観音入口


写真奥に観音様が鎮座。
その姿はぜひご自分でお確かめください!

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